Water is Taught by Thirst

音楽、社会、思想、その他

ウクライナの街のバッハ『無伴奏チェロ組曲』

ウクライナ情勢については正直なところ、新聞やニュースからの情報でさえ積極的に追い掛けてきたとは言えず、元々ロシアという国の政治的・歴史的背景についての知識も疎かったというのが正直なところである。プーチンとゼレンスキーというある意味で対照的な政治心情を持つ人物がとたんにクローズアップされるようになって少しずつ関心を持つようになった。


私はヨーロッパ人でもなくヨーロッパ系でもない、極東アジアに住む、欧米圏で教育を受けたことのある、西洋音楽を学ぶアジア人であるが、西洋、殊にロシア・スラブ圏に住まれる人々は今回のロシアによるウクライナ侵攻をどのように見ているのだろうか?


政治と音楽というテーマは難しい。クラシック音楽(特にロマン派期の音楽)が20世紀の戦争の為に利用されてしまった経緯や、第二次世界大戦後に於いては冷戦構造、絶えない各地での紛争に対して西洋音楽の伝統がどう向き合ってきたかは深いテーマであるし、ロマン派以前の作曲家が殊に政治や社会情勢に対して持ってきたスタンスや音楽に何を意図してきたかといったテーマも同じように深い。


個々の作曲家、例えばJ.S.バッハが何を作品に意図したかを今日完全に把握事は確かに不可能ではある。が、解釈によって、バッハの作品を媒介として祈りの音楽を捧げる事は出来るだろう。

https://www.washingtonpost.com/world/2022/03/23/ukraine-cello-russia-kharkiv-music/

記事の中で、バッハの無伴奏チェロ組曲第5番を選んだ理由として、「精神(spirit)を高めてくれるから」とカルキフの街でチェロを演奏するカラチェヴツェフさんは述べている。ロシア軍の更なる攻撃によってより多数の死者が生まれ、街が破壊されることを塞ぐ手立てとしてバッハの演奏を録画・配信し状況を訴え、祈りを捧げることを選んだのだろう。音楽を聴く私は、西洋音楽の理想は何だったのかと問わざるを得ない。連帯ではなく、ロシアの人々も含めた和平が一刻も早く実現するよう願う。