Water is Taught by Thirst

音楽、社会、思想、その他

今に生きる未来

最近、知り合って親しくしているZ先生は私の英語の先生であり、アーティスト、詩人でもあり私のメンター、友人でもあるのだが、その彼曰く「今、未来を生きろ」...これって禅問答のようだが、禅から昔学んだことは「今を生きる」(live the present moment)である。禅は「隻手音声」のように現実の言葉を超えた世界を志向しているようだが、それでいて極端な現実主義に陥る危険性もある、ような気がする...かの西田幾多郎も禅思想を称揚し、謂わば「考えずに(批判精神を持たずに)」国家戦争のために命を犠牲にせざるを得なかった兵士たちに思想的バックグラウンドを提供した廉で戦後に批判された経緯があるし、やはり考えずに三昧になって批判精神を捨てることは国家体制にしてみれば統制を取りやすいので都合が良い反面、個人レベルでみれば善悪の倫理的な次元に盲目になり「全体の悪」に奉仕するような結果になりかねないのである。


つまりいつの間にか未来の夢は現実の壁によって無残に打ち捨てられ、気がつけば「今を生きろ」というどこからともなく聴こえてくる幻聴によって私の精神はもはや癒えることのないレベルにまで磨耗尽くされているのである。「今を生きる」ことがさも自明のようでありながら実は国家や社会の強制するプロパガンダに過ぎないことに気づくのに私は20年も掛かった...やはり人間は未来を思い描きながら生きるのが本来の姿なのではないか?


今日もピアノを教えていて思った。楽譜を読んで私たちはその小節、その次の小節、そのフレーズの終わりまで頭に楽想を思い浮かべながら弾いている。決して「今」だけに集中するのではない。(尺八ならばただ今の呼吸に全てが完結するのかもしれないが)同じように我々の生も今日、明日、今年といった「未来」のことまで、現在のこの一瞬のうちに考えて生きている。それが生なのだと思う。