無可有庵

音楽その他ついて

音楽史を学ぶ

一応、ピアノを教えている身として、よく「ドレミファの成り立ちは?」とか音階だったり音律や調などどのように説明したら良いかと悩むことがある。単純に歌いながら経験的に学ばせる手法もあるけど、やはり原理で説明できないと気が済まないのは私の性質なのかもしれない。


そこでここ最近は中世からルネサンス期の、いわば西洋音楽の黄昏期に一番関心がある。いろいろと持っているCDを漁っても、例えばギヨーム・デュファイ(Guilliaume Dufay)やジョスカン・デュ・デュプレ(Josquin de Prez)は美しいしなかなか好きだ。


西洋音楽史の中で、バッハとかベートーベン、モーツァルト等等いわば突出した人物達がどうしても中心となり、歴史の連続性を見えにくくしていることは後世に生きる我々にとっていわば歴史の連続性を見えにくくしているように思えてならない。これは何も音楽史に限らず、たとえばキリスト教史でも同じではないか?イエス・キリストと聞けば神と思ってしまい、実在していたのかどうか、実感として分からない...


勿論、歴史の連続性ということで言えば、社会史や思想史、つまりたとえば個々の音楽家を取り巻く外的・内的状況についての理解なくして、音楽史は理解できないということになろう。音楽の内的発展という視点からだけだと、飛躍がどうしても理解できない、と思う。


と言うわけで少しずつ音楽史を勉強している最近です...