Water is Taught by Thirst

音楽、社会、思想、その他

介護職について思う

介護職には「キツい」「低賃金重労働」といった「割りに合わない」というイメージが付き纏っているかもしれない。確かにそれは一部当たっているのだが、私はそうは思わない。介護は人のケアを担う専門職であり、実に高いスキルが求められる対人援助職である。


歴史的に介護などのケア労働が人々の忌み嫌う職種として低く見られたり、いわば被差別階級的職種であった時代は確かにあったと思うけど、これだけ「人種差別」が問題化されている現代にあって介護労働を差別するのはまず時代錯誤である。


ヨーロッパの文明圏は奴隷商もやったし、それは今日でも名残が残っているが、私はこれは白人種の民族的知恵なのではないかと思う。髪の黒い黄色人種の中だって差別はあるし、現にさまざまな職業の種別によってヒトは差別するのだ。


私は病院、それも精神科というところで看護助手という職種に就いていたが、これも明らかに(私の勤務先に於いてはという括弧付きではあるが)被差別階級的職種であった。しかし、実際のところ医師よりも患者さん・利用者様に多く関われるのは看護や介護職なのだ。そしていつの間にか手につけようがなくて精神科に送り込まれたようなさまざまな方々と接する時間を私は楽しむようになっていた。


福祉学にしても、心理学や社会学にしてもこれらはおおよそ人間についての学問である。人間についての学問はその対象とする人間を観察するのが一番勉強になる。何故ならそれが実際の現実であり経験であり真実であるから。

音楽と政治について

音楽と政治というテーマで以前に20世期初頭頃の近代芸術の美学みたいなものについて思索していた時期があった。最近、音楽史の勉強をしようとGrout/Peliscaの『西洋音楽史』などを読んでいるが、アリストクセノスの立ち位置に引っ掛かるものがあった。曰くアリストテレスの系譜を引くアリストクセノス音楽理論を数学や哲学等の諸学問から切り離して独立した体系として音楽を思考したらしい。

古代ギリシアではミメーシスといって音楽は感情の模倣であると考えられ、イデアの模倣としての現実世界の模倣、つまり二重copyと考えられていた。この事から音楽には現実を変える力、つまり政治力は無いと考える事も出来るだろう。これは悩ましく、窮すれば音楽する余地など無いとも言えるし、祈りとしての音楽は困難な状況にあってこそ真であるとも言えると思う。

古代ギリシアにおいて音楽を身体的表現、カタルシス、ミメーシス、数学、哲学との関連で考えていた事は示唆的であると思う。そして今日の政治に於いて哲学がすっかり失われてしまった事は全く嘆かわしいと思う。

音楽史を学ぶ

一応、ピアノを教えている身として、よく「ドレミファの成り立ちは?」とか音階だったり音律や調などどのように説明したら良いかと悩むことがある。単純に歌いながら経験的に学ばせる手法もあるけど、やはり原理で説明できないと気が済まないのは私の性質なのかもしれない。


そこでここ最近は中世からルネサンス期の、いわば西洋音楽の黄昏期に一番関心がある。いろいろと持っているCDを漁っても、例えばギヨーム・デュファイ(Guilliaume Dufay)やジョスカン・デュ・デュプレ(Josquin de Prez)は美しいしなかなか好きだ。


西洋音楽史の中で、バッハとかベートーベン、モーツァルト等等いわば突出した人物達がどうしても中心となり、歴史の連続性を見えにくくしていることは後世に生きる我々にとっていわば歴史の連続性を見えにくくしているように思えてならない。これは何も音楽史に限らず、たとえばキリスト教史でも同じではないか?イエス・キリストと聞けば神と思ってしまい、実在していたのかどうか、実感として分からない...


勿論、歴史の連続性ということで言えば、社会史や思想史、つまりたとえば個々の音楽家を取り巻く外的・内的状況についての理解なくして、音楽史は理解できないということになろう。音楽の内的発展という視点からだけだと、飛躍がどうしても理解できない、と思う。


と言うわけで少しずつ音楽史を勉強している最近です...

Beethvenの信仰についての断片

最近、頻繁にBeethovenのPiano Sonataを練習している。「テンペスト」「月光」「悲愴」などmollを基調とする曲も美しいがNo. 6やNo. 9などのdurの曲も好きだ。いろいろと思考するとやはりベートーヴェンの音楽を進行抜きでは語れないと思う。"epiphany"という言葉もピッタリだが、その背後にある信仰ないし啓示。もし彼の音楽の核にあるメッセージは何かと問われれば何になるだろうか?

イレーヌ・グリモーのベートーヴェン『テンペスト』を聴く

本当に言わずもがななのですが、昨晩SoundCloudで視聴したBeethovenのTempest Sonata(第17番)が素晴らし過ぎて、この感動、感激が薄れていないどころか深まっている事に安堵もしています。喧嘩を売る訳では無いのですが、この作品の後に書かれた、特に20世紀以降に書かれた作品が全て恥ずかしく思えてしまうような、謂わば持ち出したら全ての楽曲が吹き飛んでしまうような、あの美しさ。。。私も高校時代に必死で第一楽章を勉強したのですが、、、

聴いている間に思ったのですが、ベートーヴェンの精神構造って現代人のそれとそんなにかけ離れていないのかなと思ったりします。世の中、例えば社会や政治の事を疎ましく思ったり、怒りを自己の芸術にぶつけたり...一聴者として素晴らしく感動したからと言って最早会いに行ける人ではないのですが...