Water is Taught by Thirst

音楽、社会、思想、その他

聖書の教え

私がどこまで真剣にクリスチャンを名乗れるのか分からない。部分的にかもしれないし、全部、或いは全くゼロかもしれない。しかし、いずれにしても聖書との出会いは私を変えた。そしてそれは私の人生の航路と音楽上の探求の交点で起きた事である。 マタイ10章:34節を見よう。 「地上に平和をもたらすためにわたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。(Do not suppose that I have come to the world to bring peace. I did not come to bring peace, but sword.)」 これは当時仏教を信奉していた私にとって衝撃以外の何でもなかった。そして当時関係のあったキリスト宣教師と真剣な議論を交わしたものである。音楽史キリスト教史は重なり合うところが多く、西洋音楽の内実を読み解くのに聖書は重要な参考であろう。そして私の中では仏教の教え、特にチベット仏教の教えとキリスト教との交わり、或いはシルクロードを経由して伝わったとされるネストリウス派(景教)が日本に伝わった可能性について最も関心が高い。上記の宣教師とはケン・ジョセフ・ジュニア氏。私を仏教からキリスト教に改宗させようとした人物である。(彼の教会で私はピアノを奏楽していた。) このところ教会には全く行けていない。「求めなさい、そうすれば与えられる。探しなさい、そうすれば見つかる。門を叩きなさい、そうすれば開かれる。(Ask, and it shall be given to you; seek and ye shall find; knock and it shall be unto you.)」(マタイ7章7節)これも好きな箇所である。