Water is Taught by Thirst

音楽、社会、思想、その他

音楽において芸術性と大衆性とは〜林光『音楽の本』を読んで

現在、林光さんの『音楽の本』を読んでいる。どの箇所もとても面白く、思考を喚起されるのだけど、特に白眉と思ったのがベートーヴェンの音楽の大衆性についている箇所:


ゲーテが、ベートーヴェン自身のピアノで、第五交響だったかを聴かされ、すっかり不きげんになって、何か口の中でブツブツつぶやいていたという話は有名だが、たぶん彼は、この「理想像」的作曲家の能力と危険性を敏感に感じ取ったのではないだろうか」(以下省略)


そしてその「危険性」とは「芸術作品における、作者自身のうたと、そこから受け取り手が読み取る作品自体のうたとの誤差、またその誤差から生まれる、おそらく作者自身も気づかぬ、あるいは気づいてもどうにもならね、時代そのもののうた、といった芸術の世界に独特の性質と、その性質がもたらす独自の面白さ楽しさ、さらには不思議さ」ではない「専門家よりも民衆に語りかけ」「ひとつのことをくりかえし、念をいれて、なっとくするまで語り続ける、という、いわば民衆のことばで語る人物」としての「作曲家の理想像」としてのベートーヴェンについて感じ取ったものだ。


この謂わば「(芸術)音楽における大衆性」というテーマは林光を貫いていた最も主要なものであったと感じているが、それは氏がビートルズについて論じているところにも如実に表れている。音楽の「しろうと性」と「くろうと性」。そしてこれが実は自分の音楽にとっても主要テーマであったことに気付かされた。分かり易く言うと、僕は自分の音楽の中で、「しろうと的なもの」を素材にして「くろうと的なもの」を構築したいというのがあり、それは絶対的に尺八音楽をやっていたことと関係ある。その「しろうと的なもの」とは言葉で言えば口語的(colloquial)なものかもしれない。おそらく林光とは全く違うとは思うけど、この歳になって著作を紐解くとよく理解できるし、共感する部分が多い。